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褄模様の訪問着 |
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訪問着「両褄取横段草花」 |
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18世紀の半ば頃の小袖には、腰を境に上半身と下半身で模様を替える18世紀初頭の意匠形式から上半身の模様を取り去って、腰から下にのみ模様を配する「腰模様」が生まれた一方で、小袖全体に模様を配する「総模様」も行われるようになりました。これらは町人女性、武家女性にかかわらず用いられましたが、町人女性にあっては、前者からさらに模様の位置を低くして裾周りにのみ模様を表す「裾模様」とよばれる意匠形式が生み出されました。「裾模様」は宝暦頃から流行し始め、江戸時代中期の末には、すでに中流町人女性の小袖のなかで、最も一般的な意匠形式となっていました。「裾模様」は模様を背面の裾から前身の裾へと繋げて表すものがほとんどですが、そのバリエーションとして「江戸褄」、「島原褄」、「褄下」があります。「江戸褄模様」は、裾から褄・衿にかけて斜めに模様を配したもの。
「島原褄模様」は褄に沿って模様が江戸褄模様よりも高い位置まで登り、さらに衽下がりのあたりから胸のほうまで広がるもの。 「褄下模様」は、模様が裾周りと褄のみに置かれ、衿まで達しないものをいいます。
いずれも小さな単位模様や風景模様をこれらの狭い部分に巧みに配し、ひとつながりに表すというものでした。 |
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