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矢絣の振袖 |
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矢絣は明治・大正・昭和を通じてばかりでなく、江戸時代以来のロングランの流行柄でした。わが国で矢絣が盛んに織られるようになったのは江戸時代中期以降のことと考えられます。緯の矢絣は男子の腰替り熨斗目の腰の部分の柄にみられ、経絣は主として、若い女性の上着に利用されてきました。歌舞伎で年の若い御殿女中の扮装に、必ず紫と白の矢絣の着付がなされているのは、御殿の実情を写したものといえましょう。更に、明治時代、矢絣の着物に海老茶の袴をはいた姿は、海老茶式部と呼ばれて女学生の代名詞となり、紫紺や小豆の矢絣は若い人達の間に大流行しました。 |
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