矢代仁トピックス



振袖「几帳」
振袖の定番である、几帳文様を最高級の縫取り御召に仕上げました。帳の一幅ごとに異なる小さな吉祥文様まで細密な織りで表したところに染めとは違う重厚な趣が感じられます。手に取ったときのしっかりとした手ごたえ、着付けやすさや着心地は御召の魅力です。

※縫取織〜紋織物の一つ。縫取(繍取)は元来刺繍用語で、布帛の一部に別糸で文様を縫いあらわすことをいう。したがて縫取織は刺繍のような織物をさし、その特色は文様をあらわす彩糸(絵緯:えぬき)が文様に必要な部分だけ往復して用いられ、他の錦などの絵緯のように織幅いっぱいの通し糸とならないことにある。この技法によると数色の絵緯を容易に使い分けることができ、しかも部分的に織り入れられるために、色数のわりには、錦のように織物自体が厚く、あるいは重くなることがない。
※几帳〜室内で風や人目を避けるために座の傍らに隔として立てる具。細い二本の柱を土居という台に立て、柱の上に一本の横木をわたし、その横木に帳をかける。寝殿造りに用いられた屏風、御簾などの調度品の一つとして平安時代の文学や絵巻物に登場する。帳は五幅で冬は平絹の白地に紫の朽木形文様、夏は生絹に胡粉で秋草を描く。一幅ごとに野筋という紅の結紐をつける。又、美麗几帳という、錦の華麗な文様の帳もあった。几帳そのものを文様化し、小袖や振袖に用いた例も多い。



季節の花ギャラリー
いたや、一行寺、山紅葉:矢代仁蔵書「四季の花」
紅葉〜落葉樹は、晩秋の寒冷にあうと、紅葉したり黄葉したりして凋落する。紅葉とは元来、草木が霜にあたって、赤または黄になることで、もみいずる・もみずると動詞にも用いる。ふつう紅葉といえば、楓を言うが、その他の木にも言い、紅葉も黄葉ももみじである。色葉ともいう。とくに紅葉の美しい名の木には、下に紅葉をつけて漆紅葉・櫨紅葉・銀杏紅葉・白膠紅葉・柏紅葉・柿紅葉・梅紅葉・合歓紅葉・満天星紅葉・葡萄紅葉・白樺紅葉などと言い、名木紅葉として一括している。何の木と言うことなく、もろもろの木の紅葉を雑木紅葉と言い、紅葉した草木の葉の美しく照り輝くのを照葉と言う。
楓〜楓の類は、その紅葉の美しさを称して、秋季とする。もみじと言えば、紅葉・黄葉する一般の木の称であるとともに、とくに紅葉が美しい楓の異称でもある。葉は掌(てのひら)状に深裂するのが普通で、蛙の手に似るので古名かえるでと言う。種類が多いが、高尾紅葉はまた高尾かえで・いろはかえでとも言い、またこの木をとくにもみじとも言う。山城の高尾山に多く、同山は古来紅葉の名所である。葉は五裂または七裂で、鋭い鋸歯がある。山紅葉と言う種類は高尾紅葉に似て、裂片のふくらみが、やや大きい。縮緬かえでは高尾紅葉の一変種で、まだ野生を見ない。二メートル前後の灌木(かんぼく)状で、葉は七片ないし十一片に深裂し、褐紫色を呈する。一名きれにしき。また、羽団扇かえでは葉が掌状に浅く九片ないし十一片に裂け、羽団扇に似ているので名づけた。一名名月かえで。その他麻の葉かえで・板屋かえで・唐かえで・嶺(みね)かえで・三つ手かえで・一つ葉かえでなどがある。楓紅葉・紅楓。

謡曲「紅葉狩」〜「紅葉狩」は能の一曲。信州・戸隠山へ鹿狩に出た平維茂(これもち)は、紅葉狩りを楽しむ美しい女性たちに会う。彼女たちの酒宴に加わった維茂は、すすめられるままに酒を酌み、美女の舞いを見るうちに眠りに落ちる。女は実は鬼神で眠っている維茂を殺そうとしていた。ちょうど維茂の夢に石清水八幡の末社の神が現れ、維茂に太刀を授け、危険を知らせる。目ざめた維茂は少しも慌てず、その太刀で鬼神と戦い、これを退治したという物語である。「時雨をいそぐ紅葉狩」云々とある。

紅葉かつ散る〜「新古今集」秋の歌に、「下紅葉かつ散る山の夕時雨ぬれてやひとり鹿の鳴くらむ」(家隆)の歌がある。紅葉しながら一方ではもう散ることである。「紅葉散る」を連俳では冬とし、「かつ散る」ははやばやと散ることだから、秋とした。



歳時記より
野猪:矢代仁蔵書「梅嶺画鑑」
猪〜昼間はほぼ一定の日当りのよい窪地の藪、猟師のいわゆる猪の寝坪で眠り、夜、出て小動物や木の実・山芋、または田畑の作物を食い荒す。興奮すると背中の怒り毛を立てて猪突するので、手負猪は危険である。怒り猪。猪道と言って、往来する道もほぼ一定している。肉は脂肪に富んでうまく、俗に山鯨と言っている。「い」とも「しし」とも言う。鹿に準じ、田畑の害獣として秋季とするが、猪狩は冬季である。
十月の忌日

(姓名) (忌日) (没年)
安藤広重 旧9/6 安政五年(1858)
江戸後期の浮世絵師。歌川広重。1806(文化6)家督を相続し定火消同心職につく。`23(文政6)火消同心を引退、美人画を主にして画業に専心する。`30一幽斎と改め、`32幕府年中行事の〈八朔御馬献上〉に参加して東海道を旅し、風景画・花鳥画へ転じた。`33から前年の旅の写生と各宿場の印象を基礎として「東海道五十三次」保永堂版を発表し、一躍世に認められた。その55枚の作品は広重独自のロマンチックな画趣が明瞭に示され、彼が好んで描く雪・雨・月・霧が前後の画の関連を効果的に印象づけ、一本の調和のとれた色の帯となっている。他に「東都名所」「近江八景」「木曾海道六十九次」「名所江戸百景」など多くの名作を残した。
大島蓼太 旧9/7 天明七年(1787)
江戸中・後期の俳人。(生)信濃国伊那。諸国を吟行し200余部の俳書を編み、3千余人の門人を有したが、与謝蕪村の名声には及ばなかった。しかし天明期(1781〜88)の俳諧中興に尽くした功績は高く評価されている。
加賀千代女 旧9/8 安永四年(1775)
江戸中期の女流俳人。(生)加賀国松任。12歳の頃から俳諧を学び、17歳で各務支考に師事。千代の婚家に関しては不明な点が多く、夫との死別後によんだ〈起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さ哉〉が伝わるが、これは千代の生れる9年前に遊女浮橋がよんだものである。〈朝顔に釣瓶とられて貰ひ水〉の一句は技巧のかった作品であるが、千代の名を著名にした句である。
空也 旧9/9 天禄三年(972)
平安中期の天台宗の僧。日本浄土教の先駆者で、特に庶民の間に念仏をひろめた功績は大きい。平安前期頃の交通土木事業は僧侶が主唱して行なったが、空也もまた済民のため自ら事業を行なうとともに、常に阿弥陀仏の名号を唱え、市中を遊行して、人々に念仏を勧め、阿弥陀聖・市聖と尊敬された。京中に悪疫が流行した時その平癒を祈って東山に西光寺(六波羅密寺)を建てた。
向井去来 旧9/10 宝永元年(1704)
江戸前・中期の俳人。(生)長崎。1684(貞享1)頃に蕉門に入り、榎本其角と親交を結び、洛西嵯峨に草庵を建てた。草庵は落柿舎と称し、松尾芭蕉もしばしば立ち寄っている。`91芭蕉のもとで凡兆とともに「猿蓑」を編み、芭蕉の信頼も厚く、世にいう蕉門十哲の1人に数えられる。`94芭蕉の死以後、落柿舎にあって蕉風を守り、京都俳壇に重きをなした。その句風は温厚篤実にして軽みを加え、晩年、平明の風に移った。
加舎白雄 旧9/13 寛政三年(1791)
江戸後期の俳人。江戸に出て、伊勢派の松露庵烏明、ついで松露庵鳥酔の門に入る。伊勢派の卑俗さにあきたらず、北越・畿内・東北を旅して松尾芭蕉への復帰に努めた。天明期の俳諧中興五傑に数えられ弟子も多い。
鳥羽僧正 旧9/15 保延六年(1140)
平安後期の天台宗の画僧。覚猷。鳥羽上皇の絶大な崇遇を受けて鳥羽離宮の護持僧になり、俗に〈鳥羽僧正〉という。僧としての履歴は1121(保安2)法印大和尚位、`30(大治5)権僧正、翌年金剛院・梵釈寺の別当を兼帯、、`32(長承1)僧正、`34大僧正・法成寺別当、翌年園城寺長吏`38(保延4)延暦寺第47世座主というようにかがやかしい。絵の名手であったことは、すでに源師時の日記「長秋記」や「古今著聞集」が伝える。園城寺法輪院で図像集成の運動をおこし、多くの絵仏師を養成した。後世に流行した鳥羽絵は覚猷の戯画の伝統を伝えたものという。
柄井川柳(初代) 旧9/23 寛政二年(1790)
江戸後期の前句附点者。(生)江戸。1757年40歳のとき、はじめて彼の前句附万句合が世に出た。当時江戸では前句附の流行が絶頂期を迎えようとしていた中で、彼が蝶々子・収月・苔翁らに伍して、さらに前句附の句が〈川柳〉と呼ばれるまでにその名声を高め得たのは、その人柄、指導性、経営技術などに負う所が少なくないが、何よりも大きな理由は、収月・苔翁らが旧来の伝統的地盤を守って江戸周辺の作者を含めてその対象としていたのに対して、川柳は専ら江戸市民を対象として興行したことにあった。またその名声を高めたのは、彼に協力して「誹風柳多留」を刊行した呉陵軒可有の力に負うところも大きかった。
頼山陽 旧9/23 天保三年(1832)
江戸後期の儒学者。(生)大阪。1809(文化6)備後国神辺の菅茶山に招かれその塾(廉塾)の塾頭となる。`11大阪に出て篠崎小竹を頼り、ついで京都に出て車屋町に居住し、子弟を集めた。両替町、つづいて三本木に移り、多くの文人・学者と交わり、とくに梁川星巌・大塩平八郎らと親交があり、大塩の本に序文をよせたりしている。代表作「日本外史」は`27(文政10)松平定信に献じたものである。その他「新策」「通議」「日本政記」「山陽詩鈔」など多数あり、しかもその説はよく世間に流伝した。
池西言水 旧9/24 享保四年(1719)
江戸前・中期の俳人。(生)大和。松江重頼の門人。江戸に出て談林風を鼓吹したが、その風にあきたらず、京都に移り、晩年には蕉風に傾倒するようになった。〈凩のはては有けり海の音〉の句によって、世に〈こがらしの言水〉といわれる。能書で、絵画・茶道・書画骨董の目ききにも秀でていた。
本居宣長 旧9/29 享和元年(1801)
江戸後期国学者。(生)伊勢国松阪。宣長の業績は(1)古事記の研究により賀茂真淵の古学をさらに発展させ、復古思想の体系〈古道論〉を完成したこと、(2)科学的古典研究法(文献学)の完成、(3)「古事記伝」など古典の徹底的な研究注釈、(4)「源氏物語」の研究により到達した〈もののあはれ〉の文学論(主情主義)の主張、(5)音韻・文法など国語学研究の発展などで、これらを総合した国学の立場を完成し、後世に大きな影響を与えたことである。
夢窓疎石 旧9/30 平正六年(1351)
鎌倉後期・南北朝時代の禅僧(臨済宗)。(生)伊勢。甲斐国恵林寺の開山となり、北条氏の帰依をうけて浄智寺・円覚寺に住し、後醍醐天皇の招きにより南禅寺に住した。さらに足利尊氏の帰依をうけて、1339(延元4・暦応2)天龍寺開山となった。春屋妙葩・絶海中津ら多くの弟子がおり、臨済宗の復興につとめ、また造園技術にもすぐれた。
種田山頭火 10/11 昭和十五年(1940)
大正・昭和期の俳人。(生)山口県。尾崎放哉に傾倒。妻子を捨て庵を結び、また一笠一杖の乞食行脚で各地を遍歴。禅味のある自由律の独自な句を残した。友人大山澄太によって遺稿集「愚を守る」「あの山越えて」が出されたが、近年になって尾崎放哉とともに、山頭火の生涯と俳句に対する関心が高まった。
志賀直哉 10/21 昭和四十六年(1971)
大正・昭和期の小説家。(生)宮城県。1922名作「暗夜行路」前篇が出版された。翌年京都に`25には奈良に移り住み、この頃から東洋古美術への関心をいっそう強めると共に創作は次第に少なくなった。大正末期にはすでに短篇小説の日本的完成者という評価が定まり、多くの文学者に強い影響を与えた。`37(昭和12)「暗夜行路」後篇を完成。`49文化勲章を受章。
正宗白鳥 10/28 昭和三十七年(1962)
明治・大正・昭和期の小説家・評論家。(生)岡山県。本領は批評にあり、昭和期に入ると評論に活動の主力が注がれた。1922「文壇人物評論」や文芸時評・回想録等にすぐれたものがあり、`36(昭和11)には小林秀雄と〈思想と実生活〉論争を展開し注目された。`50文化勲章受賞。〈永遠の懐疑者、傍観者〉といわれたが、死の直前にクリスチャンであることを表明したと伝えられ、話題となった。
松根東洋城 10/28 昭和三十九年(1964)
明治・大正・昭和期の俳人。(生)東京。夏目漱石に師事。「ホトトギス」により句作に励む。〈新傾向俳句〉に対抗し人間修行としての俳句を主張、連句を重んじた。
尾崎紅葉 10/30 明治三十六年(1903)
明治時代の小説家。(生)東京。1885(明治18)山田美妙らと〈硯友社〉を結成。近代日本文学史上最初の同人雑誌となった回覧雑誌「我楽多文庫」を出す。‘89に発表した「二人比丘尼色懺悔」は好評を博し、出世作となる。その年、大学在学のまま読売新聞社に入社、文芸欄を担当。翌年大学を中退し作家生活に入る。`90「伽羅枕」、`92「三人妻」をはじめ1897〜1902「金色夜叉」など主要作のほとんどを「読売新聞」に発表。出世作で好評を得た雅俗折衷の文体は苦心して創造したものであったが、1891「二人丹女房」後半から〈言文一致〉を試み、〈である〉調を用いた。表現の技巧に苦心することを文学の第一義と考え、優れた文章を書く努力を生涯続けた。泉鏡花・徳田秋声ら多くの後進を指導。俳人としても知られるが、西鶴など日本の古典を学び外国の小説を読んだのと同じく、句作もまた彼の〈文章道〉に集約されるものであったといえる。
北原白秋 11/2 昭和十七年(1942)
明治・大正・昭和期の詩人・歌人。(生)福岡県。1908吉井勇らと〈パンの会〉を作り、`09「スバル」を創刊。〈耽美派〉〈新浪漫派〉と呼ばれる文学グループに属して活躍。`18鈴木三重吉創刊の雑誌「赤い鳥」に童謡を担当することになり、以後優れた新作童謡を次々と発表し「トンボの眼玉」「兎の電報」「祭の笛」などの童謡集を出版。創作民謡にも新生面を開き`22「日本の笛」などを出した。同年、山田耕筰と雑誌「詩と音楽」を創刊、2人のコンビから生れた歌は今日でも多く愛唱されている。詩・短歌・童謡・民謡などの面で貴重な業績が多く、また、詩誌、歌誌の発行も多く、小説・随筆・評論の仕事もある。`41(昭和16)芸術院会員。生涯の全著作は200冊にのぼる。


矢代仁が出品する主な催しの予定

日程 場所 催し名
9月 30日〜10/5 トキハ:店内 巧裳会
10月 2〜3日 恵屋:中央労働会館 秋の会

3日 神戸大丸:有馬グランドホテル 染織縫 豪華展

4日 名古屋三越:名古屋観光ホテル 秋の逸品会

4〜6日 鶴屋百貨店:店内 上裳会

5〜12日 大阪三越:店内 百万円均一

6〜12日 京都大丸:店内 侘び、寂びの会

7〜8日 三越本店:ホテルオークラ 三翔会

8日 寿きもの:室町二条矢代仁京都店 御召の会

8〜9日 美馬:赤坂キャピタルホテル 東京展

8〜11日 津の国屋:店内 逸品展

9〜10日 中村屋本店:太閤苑 逸品会

10日 心斎橋大丸:大阪会館 大きもの展

11〜14日 高山三木:店内 創業三十周年記念展

13〜19日 藤の屋:店内 創業祭

14〜15日 名古屋松坂屋:松楓閣 大友禅展

14〜16日 ちた和・石川一郎代表:六本木「はん居」 秋の染織逸品会

15〜17日 松葉屋:店内 松選会

16日 丸武:リーガロイヤルホテル 秋の逸品会

17日 大阪高島屋:リーガロイヤルホテル 豪華展

17日 上野・銀座松坂屋:治作 名織展

18日 仙台三越:岩沼屋 三翔会

18〜24日 名古屋三越:店内 五十万円均一祭

19日 上野・銀座松坂屋:川口リリア 名織展

19日〜11/1 三越本店:店内 きものフェスタ

20日〜11/2 神戸大丸:店内 冬のオール呉服祭

21〜22日 小大丸: 白技会

21〜26日 名古屋松坂屋:店内 矢代仁展

22〜23日 横浜高島屋:あいちや 矢代仁展

22〜23日 京都大丸:南禅寺 大きもの

22〜23日 福岡岩田屋:室町二条矢代仁京都店 火祭りツアー

22〜24日 西武百貨店池袋:イルムス館 染織の華

24日 日本橋高島屋:金田中 矢代仁展

26〜28日 本はし会津:田ごと 個展

28日〜11/2 佐世保玉屋:店内 のれん市

30〜31日 矢代仁:赤坂プリンスホテル エクセレントキモノ in 赤坂




    YASHIRONI 株式会社 矢代仁
〒604-0021 京都市中京区室町通二条南入蛸薬師町272-2
TEL (075)211-2421 FAX (075)211-2428
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