矢代仁トピックス



染織光悦会
とき 4月23日(土)、11:00〜17:00 ところ 京都文化博物館 6階
昭和3年、先代若松華瑶氏(帯の若松)等の声掛けにより、染織界への影響著しい、琳派の師、万能の天才本阿弥光悦(1558〜1637)翁に感謝、報恩の誠を尽くすを目的として発会、本年は数えて第48回。当日は商いをせず、同人研鑚を主とする作品展。会場は、光悦寺、国際会議場、愛染倉と移り、現在は京都文化博物館。
矢代仁蔵書「光悦色紙帖」
矢代仁蔵書「光悦色紙帖」
  会員は2005/3現在、以下11社(五十音順)である。
・イトカワ ・岩田 ・室町加納 ・秀粋 ・千艸屋
・なか井 ・に志田 ・帛撰 ・藤井絞 ・まほろば
・矢代仁

小袖
柴垣に菊文様小袖 小袖と振袖 弐
毎日新聞社「小袖一 鐘紡コレクション」
柴垣に菊文様小袖(江戸時代中期)より
矢代仁蔵書「小袖と振袖 弐(京都野村家蔵)」より
現代のいわゆる「きもの」の原点となるものは小袖である。小袖の源流は遠く平安時代に遡る。平安貴族たちの服装は十二単に代表される襲装束であるが、これらは袖口の大きく開いた大袖ものであったため、下着に袖の詰まった小袖を着けたのである。いっぽう、庶民は布の粗末な小袖を常着としていた。この段階では下着の小袖に文様を飾る必要はなく、庶民の場合も素朴な文様をほどこす程度であった。やがて、中世に入ると公家ふうの襲装束は簡略化が進み、小袖を主とした軽装へと移っていき、室町時代後期には小袖が広く定着した。小袖が表着として着用されるようになると、それまでの襲装束のように衣を重ねて色の諧調を楽しむという装飾美は根底からくつがえされた。いわば一枚着的な小袖では文様のもつ視覚的効果と、その多様性が問われるようになったのである。桃山時代の小袖を見ると、身幅広く丈は対丈、袖丈、袖幅、袖口もせまいが、江戸時代中期には身幅はせまく、身丈も長く、袖幅も広くなって、ほぼ現在の形をとるようになったといわれている。

季節の花ギャラリー
ゑにしだ、木いちご:矢代仁蔵書「四季の花」
ゑにしだ、木いちご:矢代仁蔵書「四季の花」
木苺〜苺に似た小さな食べられる実をつける茨科の灌木の総称であるが、とくに懸鉤子と呼ばれるのは、一名紅葉苺・粟苺・下り苺とも言われるものである。山野に生じ、刺が多く、四、五月ごろ白い花を開いて、後、小さな球形の黄色の実をぶら下げる。黄苺の意とも言う。その他かじ苺は一名唐苺・江戸苺とも言って、実は赤く熟し、やや苦味がある。その他刺苺・蝦殻苺・紅苺・熊苺などがある。
木苺の花〜山野に生ずる2メートル足らずの落葉小灌木で、茎も葉も刺が多い。晩春、下の方に葉をつけた花茎を出し、頂きに純白の五弁の花をひらく。野生の花として可憐である。葉が楓に似ていて、もみじいちごとも言う。俗に、木苺と称して、子供がとって食べる種類は、このほかにも種類が多くあり、すべて薔薇科に属する。
金雀枝(えにしだ)〜ヨーロッパ原産のまめ科の落葉灌木で、延宝年間に渡来し、鑑賞花として栽培され、ふつう90センチあまり、老木になると3メートルに及ぶものもある。葉は三個の小葉からなる複葉であるが、型がごく小さく、枝は繊細で緑色をなしている。初夏のころ、葉の腋に黄色の蝶形花をひらくが、緑枝緑葉の中に群れ咲くさまが美しい。花の後、莢を結び熟して黒くなる。一変種に頬紅えにしだがある。

歳時記より
鯛:矢代仁蔵書「梅嶺画鑑」
鯛:矢代仁蔵書「梅嶺画鑑」
櫻鯛〜一般に鯛と言えば、真鯛(本鯛)・黄鯛(れんこ鯛)・血鯛の三種だが、なかでも真鯛が形も色も味もよく、海産物の王である。春、産卵のため内海の浅場へ群れてくるが、そのころことに雄の真鯛は、腹部が婚姻色と言って、性ホルモン作用で赤味を帯びる。ちょうど花時に当り、その色を賞美して、俗に桜鯛とか花見鯛と言うのである。鮮紅色と白銀色に黒紫がかった色彩は美しいが、桜鯛とはたくさんとれる時期の名であって、旬ではない。瀬戸内海では、鳴門・紀淡・明石などの諸海峡を通って乗り込むので、鳴門鯛・明石鯛などの名称がある。東京湾口から鴨居・走水沖に乗り込むのを姿見の鯛と言っている。
また四月下旬に湘南鴨居で小烏賊がとれはじめると、それを餌にして鯛を釣るので、烏賊鯛と言っている。このころ備後の鞆の津などでは、有名な鯛網を引く。鯛の料理は、ふつうの刺身・塩焼・煮付のほかに、皮つきの鹿の子作り・鯛茶漬・鯛飯・鯛鮨・うしお・鯛ちり・かぶと蒸し・あら煮・鯛でんぶ・鯛味噌・浜焼などにする。


晩春 四月の忌日
(姓名) (忌日) (没年)
柴屋軒宗長 旧3/6 天文二年(1532)
室町後期の連歌師。(生)駿河国島田。18歳のとき清見関で連歌師飯尾宗祇に初対面し、以後30有余年師事。和歌にも巧みで古今伝授を受けたほどだが、終生連歌師に徹した。大徳寺の一休宗純に参禅し、のちに秘蔵の「源氏物語」を売却して、その代金を大徳寺三門の建立に充当した話は名高い。師の宗祇の没後、連歌界に重きをなして公家・諸大名らと親交。
空海 旧3/21 承和二年(835)
平安初期の名僧。真言宗の開祖。(生)讃岐国多度郡弘田郷屏風浦(善通寺市)。804遣唐使藤原葛野麿の第1船により最澄らとともに入唐し、長安に到り青龍寺の恵果に就き密教大法の伝授をうけ、`06(大同1)帰国し、翌年「請来目録」を平城天皇に献じた。`10(弘仁1)高雄山寺で最初の鎮護国家の修法を行い、翌年「劉希夷書上表」などから嵯峨天皇と親交がはじまる。最澄とは`09ころから交際があったことが「風信帖」で知られ、`12の灌頂には最澄の入壇がみえるが、`16門弟の問題にからみ交わりを絶つ。同年、紀伊国高野山の地を賜り金剛峰寺の基を開き、`23未完成の東寺(教王護国寺)を得て、真言密教の道場とする。`30大僧都となり「秘密曼荼羅十住心論」を著し、`34(承和1)毎年の宮中後七日御修法を許可される。翌年高野山で没した。書道に秀で〈三筆〉の一人。
蓮如 旧3/25 明応八年(1499)
室町時代の浄土真宗の僧。本願寺第八世。1420(応永27)生母に別れ、幼くして当時不振の本願寺教団を再興する志を立てたといわれる。宗学を父からうけたほかは独学。その教えは、「王法為本」を説いて、現世権力との対立をさけた。多くの「御文章」(御文)を作って宗義を一般大衆に広め、宗祖の正信念仏偈を和讃にして、儀式を簡略化することに努めた。`81に山科本願寺を再興。その豪壮なことは当時の人々を驚かした。このころから、仏光寺経豪・証誠寺善鎮・錦織寺勝慧らが活躍し、本願寺教団の興隆をみるにいたった。
大塩平八郎 旧3/26 天保八年(1837)
江戸後期の儒学者・陽明学者。(生)大坂天満川崎四軒坊。儒学・経学に努め、江戸に遊学して林家の門をたたいた。祖父没後家督を相続。1816呂新吾「呻吟語」をよみ、これより陽明学におもむき、翌年家塾〈先心洞〉を設けて子弟を教授し、高井山城守実徳と親交を結んだ。`30高井が退職すると、平八郎は跡を養子格之助に譲り、以来専ら著述と教授に努力。`34には「洗心洞箚記」3巻を著し、門人をひきいて、富士山頂の石室に収め、伊勢神宮にも奉納した。大坂町奉行矢部定謙は平八郎から、その引退後も政治上の進言をうけたことがあった。`36江戸町奉行に転じた矢部の後任跡部山城守とは合わず、おりからの天保飢饉に際して、平八郎は上書して救済をたのんだが、いれられなかった。書籍を売って救恤に努めたが、ついに門弟と共に峰起して失敗、しばらくの潜伏後、捕吏に包囲され自殺した。
八百屋お七 旧3/27 天和三年(1683)
江戸前期の歌舞伎狂言のモデル。「天和笑委集」によれば、1682(天和2)12月28日の大火で一家類焼し、避難先の正仙院でこの寺の生田庄之介と恋に落ちた。のち元の家に帰ったが、翌年1月、再会したい一念で放火を企て、捕らえられて3月28日、品川鈴の森(のち鈴ヶ森)で火刑に処せられた。井原西鶴「好色五人女」など多くの浄瑠璃・歌舞伎に脚色され、広く親しまれた。
西山宗因 旧3/28 天和二年(1682)
江戸前期の連歌師・俳人。(生)肥後国八代。1647(正保4)大坂天満宮へ下り、連歌所宗匠となり、以後各地を旅行し、`64(寛文4)豊前国小倉で即非如一禅師と会い、`70受戒、西翁を居士号とした。一方俳諧にも嗜みが深く、すでに俳諧作品もあったが、この受戒に前後する頃活発となり、`73(延宝1)「宗因千句」を刊行。つづいて`75「談林十百韻」を興行し、いわゆる談林俳諧の新風を巻き起こすに至った。談林は奇抜な発想、軽口狂句にあふれ、貞門俳句と真向から対立。両派の激しい論争が生れたが、宗因は門弟に井原西鶴、岡西惟中ら秀才があり、貞門を駆逐して流行した。のちに松尾芭蕉も談林を学んで蕉風を確立したことは有名。
玉菊 旧3/29 享保十一年(1726)
江戸中期の吉原遊女。名妓玉菊を悼んでの馴染の茶屋連による新盆の切子灯篭の飾りは廓内に意外な風情を醸しだし、「玉菊灯篭」として年中行事であった。
尾崎放哉 4/7 大正十五年(1926)
明治・大正期の俳人。(生)鳥取県。没後、荻原井泉水編で句文集「大空」「放哉書簡集」が出版された。近年にいたり、その業績と生涯に対する関心が強まり再評価がすすめられてている。自由律俳句に優れた才能を示す。
高浜虚子 4/8 昭和三十四年(1959)
明治・大正・昭和期の俳人・小説家。(生)愛媛県。正岡子規の師事。1896(明治29)「国民新聞」俳句選者となり、`98に「俳句入門」を出版。「ホトトギス」を主宰した。同誌に句作・俳論を執筆したほか1907年頃から主力を小説に注ぎ、「風流懺法」「斑鳩物語」「大内旅館」などを発表。`08最初の短篇小説集「鶏頭」を出版。同年長篇小説「俳諧師」、`09「続俳諧師」を連載して小説家としての才能を示した。他に長篇「柿二つ」、短篇集「虹」などが知られる。`13(大正2)俳壇復帰の決意を表明するとともに〈守旧派〉と称し〈新傾向俳句〉に挑戦する姿勢を示した。子規のあとを受けつぎ〈ホトトギス派〉の隆盛に寄与、多くの優れた俳人を育成した。
窪田空穂 4/12 昭和四十二年(1967)
明治・大正・昭和期の歌人・国文学者。(生)長野県。1911小説集「炉辺」、`13(大正2)小品集「旅人」や`14翻訳「小公女」を出版。`14文芸雑誌「国民文学」を創刊。紀行・随筆も書いたが、歌集「濁れる川」「鳥声集」「土を眺めて」を出版して歌人として才能を示した。`20から母校の教壇に立ち、国文学者・歌人としての活躍のほか多くの後進の指導に尽力した。
石川啄木 4/13 明治四十五年(1912)
明治時代の詩人・歌人・評論家。(生)岩手県南岩手郡日戸村〜現玉山村玉山。1905最初の詩集「あこがれ」を出版、明星派の詩人として知られるようになった。`10歌集「一握の砂」は三行書きの新形式、新鮮・大胆な表現、内容の深刻さなどによって歌人としての啄木が広く知られる。
川端康成 4/16 昭和四十七年(1972)
昭和期の小説家。(生)大阪。1929(昭和4)短篇集「伊豆の踊子」を出版。`48連作形式で発表してきた「雪国」を完結出版。同年日本ペンクラブ会長に就任。`52「千羽鶴」で芸術院賞受賞。`61文化勲章受章。`68ノーベル文学賞を受賞した。日本的抒情文学の代表的作家。晩年、門下の三島由紀夫が割腹自殺したりして強度の精神的動揺をきたし、ガス自殺した。
内田百聞 4/20 昭和四十六年(1971)
明治・大正・昭和期の小説家・随想家。(生)岡山県。夏目漱石の門に入り、1922(大正11)短篇小説「冥途」を出し、その超現実的・散文詩的な作風で芥川龍之介などに推賞された。その後しばらく沈黙していたが、昭和に入ってユーモラスな味を持つ随筆家としてその才能を示した。`33(昭和8)「百鬼園随筆」、`34「続百鬼園随筆」、`35「鶴」などが代表的なものである。
中里介山 4/28 昭和十九年(1944)
明治・大正・昭和期の小説家。(生)東京。1909から「都新聞」に小説を連載する機会を得て、`13(大正2)第6作目の「大菩薩峠」が好評を博し`21まで同紙に連載、以後その死に至るまで書きつがれ未完に終る大作となった。
永井荷風 4/30 昭和三十四年(1959)
明治・大正・昭和期の小説家。(生)東京。1902(明治35)「野心」「闇の叫び」「地獄の花」を発表して注目されたが、翌`03から外遊。`08帰国後「あめりか物語」「ふらんす物語」「歓楽」「すみだ川」「冷笑」など多くの作品を発表し〈耽美派〉を代表する流行作家となった。`10から慶応義塾文科教授となり「三田文学」を主宰、同誌に随筆や小説・戯曲を発表。晩年は風変りな生活ぶりで話題を呼ぶ。`52文化勲章受章。
大佛次郎 4/30 昭和四十八年(1973)
大正・昭和期の小説家。(生)横浜。1924(大正13)「鬼面の老女」に始まる鞍馬天狗を主人公とする連作で認められ作家生活に入る。時代物としては`27「赤穂浪士」、`44〜`46「乞食大将」などがあり、現代物では`48「帰郷」、`49「宗方姉妹」`52「旅路」が代表作。史伝物としては「ドレフェス事件」から「パリ燃ゆ」に至る4部作と絶筆となった「天皇の世紀」がある。自由な市民精神、知性、道徳的清潔さ等が幅広い読者をひきつける魅力となっている。


矢代仁が出品する主な催しの予定
  日程 場所 催し名
3月 30日〜4/19 京都高島屋:店内 おしゃれきもの帯特集

31日〜4/6 東武百貨店:店内 矢代仁セール
4月 2〜3日 松坂屋:京都文化博物館 名作展京都特別内覧会

2〜3日 大阪高島屋:美術倶楽部 上品会

3日 和ギャラリー:高崎「暢神荘」 呉服逸品会

4〜5日 仙台三越:ホテルメトロポリタン仙台 仙桜会

4〜11日 広島三越:店内 逸品会

5〜18日 名古屋三越:店内 ひとえの会(有名老舗のれん市)

8〜9日 高島屋:リーガロイヤルホテル京都 上品会:京都集合催

8〜11日 美馬:湯の川温泉 高知展

8〜9日 三越本店:東京會舘 三彩会

9〜10日 川島織物:室町二条矢代仁 装春展

14〜16日 佐世保玉屋:店内 割引祭

14日 上野・銀座松坂屋:川口リリア 名作展

15〜17日 呉盟会:美術倶楽部 呉盟会

15〜17日 姫路圓山:店内 単衣・夏物展

16日 和ギャラリー:大宮「一の家」 春の高級呉服特別ご招待会

16日 名古屋松坂屋:中区「加茂免」 名作展

16〜17日 神戸大丸:風月堂 呉服の会

16〜17日 三越本店:紙パルプ会館 振袖展

21日 日本橋高島屋:立川「車屋」 特招会

21〜22日 宝塚ふくみや:アピア催事場 逸品会

21〜30日 北上きものや:店内 江戸小紋展

22日 仙台三越:岩沼屋 特招会

22〜24日 京都高島屋:店内 特別奉仕会

22〜24日 津松菱:アスト津 京きもの逸品会

22〜24日 佐賀玉屋:店内 夏・単衣展

22〜24日 広島高橋:店内 単・夏物の会

23〜24日 美馬:キャピトル東急ホテル 東京展

24日 心斎橋大丸:リーガロイヤルホテル 絢匠苑

24日 大阪高島屋:ホテルニューオータニ大坂 上品会(薔薇会)

24〜25日 静岡松坂屋:浮月楼 名作展

25〜28日 岡山染織近藤:後楽園鶴鳴館 逸品会

26日〜5/2 名古屋三越:店内 矢代仁展

26日〜5/9 名古屋三越:店内 振袖大祭典

28日〜5/11 東武百貨店:店内 夏物特集

29日 上野・銀座松坂屋:浅草「濱清」 名作展

29日〜5/8 三越本店:店内 男物フェア




YASHIRONI 株式会社 矢代仁
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