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11月21日(月)えびす講神儀に続き、恒例の記念講演会が行われました。
本年は造園「植治」の当主 十一代小川治兵衛 先生にお願い致しました。
演題は「植治の庭と平安神宮の庭」です。 |
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七代目は、明治二十八年(1895)から「平安神宮」の神苑の作庭に入りました。平安神宮は、京都の町おこし事業の集大成として平安建都千百年を記念し、桓武天皇を祭神として創建されました。京都の平和と安全を祈る京都市民のための神社として、多くの市民の寄進によって完成しました。御神殿を取り囲むように、東・中・西・南の神苑がありますが、七代目が最初に取り組んだのは中神苑でした。ふんだんに琵琶湖疎水の水を使った池を中心とした回遊式庭園です。その蒼龍池には、池に浮かぶ珊瑚島まで「臥龍橋」と呼ぶ飛石を配置いたしました。龍が蛇行しながら飛んでゆくその背中のように、丸い石の柱が蛇行して並びます。この柱には、ちょうどこの頃架け替えられた三条大橋と五条大橋の橋脚が用いられました。七代目は京都の歴史の象徴として、天正年間に豊臣秀吉によって造営されたこれらの橋の橋脚を、この市民のための神苑に使ったのでした。また、この橋を渡る人には、鏡のように大空を映し込む蒼龍池の上で、まるで龍の背に乗って雲間を舞うかのような気分を味わってもらいたいという、七代目の意図が織り込まれていたのでした。水鏡の中に日常とは違う不思議な空間を創造したかったのです。
出典:「植治の庭」を歩いてみませんか〜白川書院 |
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【庭師小川治兵衛の追憶】 |
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明治から大正にかけて京都を始め各所にできた有名な庭園は、大方この植治こと小川治兵衛(七代目)さんの作庭と聞いている。円山公園は特に有名だが、その他山県公の無鄰庵、西園寺公の清風荘など名園として知られるものがいまなお方々に数多く残っている。
私がまだ若いころであった。私の家とこの小川さんとは古くから至極懇意にしていたので、私は暇があると度々その造園の現場に遊びに行ったものである。ある時、植治の弟子が、大きな松の木のおそろしく高いところに登って仕事をしており、小川さんは下の座敷の縁側から、これをながめながら、いろいろと枝振りや剪定を指図していた。その弟子が高いところで仕事をしている間は何もいわなかったが、下の方に降りて来ると大声で、「すべるゾ、気をつけろッ」と怒鳴った。高い場所で作業中はだれでも用心して、万事に注意深くなるが、下の方へ降りて来るとつい気がゆるんでよく怪我をしたりする。これが人間の通有性である。小川さんはその辺の心理学を心得ていたようである。この名庭園師の、弟子に与える注意の仕方が、妙にいまなお私の心に残っている。(昭和初期)
出典:「鎌庵雑想」矢代仁兵衛(1893〜1976) |